【組合見解:受験生、在学生、卒業生の皆様へ】

(Ⅰ) 伊瀨敏史氏(創設者故伊瀨敏郎氏の長男で元大阪大学大学院工学研究科教授)が、2018年5月12日に学校法人奈良学園第4代理事長に就任しました。

これに際し、卒業生、在学生、そして受験生の皆さんに向け、是非お伝えしたいことがあります。

 

(Ⅱ) また伊理事長は、私たちの大学教員としての復職を拒否する理由として、私たちが専門とする研究領域について「科目適合性」がないなどとしていますが、この理事長の見解は非常に根拠が疑わしいものです。この点についての見解もここに表明します。受験生、在学生、卒業生の皆さんにも目を通してもらいたいからです。

 

(I)『奈良学園大学はこんな大学です』

          <卒業生、在学生、そして受験生の皆さんへのメッセージ>

 

 

「奈良学園大学」は2013年度まで「奈良産業大学」と称し、それは学校法人「奈良学園」を創立した伊瀨敏郎氏によって1984年に設立されました。まず経済学部でスタートし、その後法学部、経営学部(経済学部から分離・独立)、情報学部が創られましたが、2007年に経済・経営・法の三学部は統合されてビジネス学部となりました。しかし、やがてビジネス・情報の二学部も廃止されて、新たに人間教育学部と保健医療学部が創られ、今日に至っています。

 始めの間は、受験市場の拡大に恵まれ、下の表にあるように順調に学生数を伸ばしました。

ところが、それは早くも19989年度にピークを迎え、それ以降急激に減少していったのです。それは下の表の全学計が示しているように、まことに凄まじい減り方で、ついには定員の半分以下にまでなってしまいました。

その原因はどこにあったのでしょうか。これほどの加速度的な急降下が何故起きてしまったのでしょうか。その根本的な原因は極端な金儲け主義(ドケチ作戦)にありました。つまり、水増し入学によって学生数を増やすだけでなく、学生の納めた受験料・入学金・授業料などを学生にほとんど還元せず、大半を有価証券の購入に当てたのです。これにより、学園の金融資産は当時の全国の有力私大をもはるかに凌ぐ700億円超という異常な数字にまで膨らみました。こうした経営の仕方が、学生サービスの貧弱さ、偏差値の低下を通して、受験生離れをもたらしたのは当然です。

 受験生が減り始めたとき、伊瀨理事長は抜本的な(従って、お金のかかる)対策を何一つ講じませんでした。唯一やったことと言えば、まったく安易な、入試制度の変更(指定校を増やすとか、推薦枠を広げるとか)だったのです。

 そうした中、理事長が高齢になり、二代目として、普通のサラリーマンだった彼の息子(次男)が就任しました。彼は浮上を計るべく、経済・経営・法の三学部を統合してビジネス学部に改組するとともに、奈良市登美ヶ丘の新キャンパスに「関西科学大学」という二つ目の大学を開設しようとしました。ところがその際、文科省への提出書類に意図的な虚偽記載のあることが発覚し、設立が不認可になったのです(実は、ビジネス学部への改組においても大規模なゴマカシのあったことが、後に見つかりました)。それは文科省による一定のペナルティーも伴いました。このとんでもない不祥事により、学園と大学は金銭的にも世間的にも大変な痛手を被ったのです。受験者数は更に減り続けました。

 こうした困難な状況のなかで登場したのが、三代目理事長です。しかし、この人は中等教育界の出身で、大学や大学経営に関しては門外漢でした。そのため、コンサルタント会社と契約したり、元文部官僚や他大学の(とはいえ元々銀行マンの)学長経験者を招聘して、立て直しを任せましたが、うまくいきませんでした。また、自ら大学改革の検討委員会を作って答申案を出させたりしましたが、結局実行しようとはせず、無為無策が続いたのです。

 事態が変わったのは、3人目のオタスケマンの登場によってです。その人物とは、かの有名な梶田叡一氏です。彼は長年にわたって政府の中央教育審議会の要職にあった、教育行政の世界の大物です。また、大阪府の同種の審議会の会長でもあり、その関係から、あの森友問題でずいぶん注目を浴びました。この人が、どういうコネか、学園の高等教育担当理事に就任し、大学再編を主導しました。その結果、ビジネス学部と情報学部が廃止され、新たに人間教育学部と保健医療学部ができて、大学名も「奈良学園大学」となったのです。そして、彼がその初代の学長となりました。

 しかし実は、消滅するビジネス・情報の両学部を元に、もう一つ現代社会学部ができるはずでした。ところが、それは審査にパスしなかったのです。これもまた、三代目理事長の大きな失敗の一つです。今の二学部だけでは赤字は解消されず、いずれ行き詰まることになるでしょう。

 ともあれ、梶田氏の腕力によって、大学は(再建にはほど遠いものの)生まれ変わりました。それは元の奈良産業大学とはまったく別の大学のようです。しかるに、彼はもうこの大学にはいません。それまでの二人と同じように、学園(理事長)と対立(喧嘩!)して、去って行きました。しかも、こともあろうに、彼は、近隣の桃山学院教育大学の初代学長(これでなんと五大学目です!)に就任し、本学と張り合うことになったのです。おまけに彼は、本学人間教育学部の主な教員(実は彼が連れまわっている彼の弟子たち)を引き抜いてしまいました。また保健医療学部のほうも、どういうわけか(人間関係に問題があるとのことです)、発足当初の教員の大半が既にいなくなるという前代未聞の事態になっています。一人は裁判沙汰にもなっているようです。本学はまことに前途多難と言わざるをえません。

 私たちはかつてのビジネス学部と情報学部に所属していた教員です。両学部の廃止に伴い解雇されました。そこで、それが違法であるとして、奈良県労働委員会に救済を申し立て、また同時に、奈良地方裁判所に提訴して、学園と争っています。

 これまで説明してきましたように、本学の経営は全国的に例を見ない、まことにヒドイものでした。失敗・不祥事・無策の連続と言えるでしょう。学園はそのツケを私たちに回しました。自らの経営責任を問うことなく、何の落度もない私たちが犠牲になったのです。私たちが解雇撤回闘争に立ち上がったのも、当然でしょう。

 せめて現代社会学部ができていれば、私たちは解雇されずにすむ可能性がありました。そして実は、私たちはビジネス学部と情報学部の廃止に際して一つの条件をつけていました。それは、もし現代社会学部が認可されなかった場合には、両学部は存続させるというものです。ところが、学園はその約束をやぶって解雇を強行しました。卑劣な詐欺としか言いようがありません。

 20185月、三代目理事長が死去し、四代目として初代の長男である伊瀨敏史氏が就任しました。この人は大阪大学工学部の教授であった人で、私たちはその合理的な思考と賢明な判断に大いに期待していました。ところが、意外にも彼は、労働委員会が公平・公正な第三者的立場から出した和解の勧告を全面的に拒否すると表明したのです。その理由は、①もし私たちと妥協すると、抵抗を諦めて既に退職した人々と差がつき不公平になってしまう、②赤字経営で資金的に余裕がない、というまことに身勝手なものです。そこには、繰り返された罪過に対する悔悟の意識が全くありません。まるで他人事のようです。彼は、学園のお粗末な経営が今日の事態を招いたという事実をどう考えているのでしょうか。その事実から目をそむけて、見込みのない争いをいつまでも続けていくつもりでしょうか。それは、私たちの運動の拡大・発展を通して次第に社会を敵に回すに至り、自滅への道を歩むことになるでしょう。

 私たちは長年にわたって本学に勤務し、私たちが大学を、更には学園全体を支えてきた (学園内の中学・高校などは財政的にたいへんな恩恵を被っていますという自負があります。従ってまた、大学に対して強い愛着をもっています。その大学が衰退し消滅してしまうことには、とても耐えられません。

 実は、私たちは理事長に対して、こう提案しているのです。「再建を迫られている大学がこんな争いに力を割いている場合ではないでしょう。早く解決して前に進みませんか。私たちは再建に協力することができますし、その意思があります。」これまで奈良学園の経営は、大学というものをよく知らない人によって、大学にふさわしくないやり方で、行われてきました。現在の理事長はなるほど大学人でしたが、彼を含めて、学園幹部の中で私立大学、とりわけ小規模な私立大学の経営に通じている人は、誰もいないでしょう。そうした状況にあって、私たちにはさまざまのアイディアがあります。大学は私たちを活用することによって未来を切り開くことができるようになるのです。

(II)『教員の「科目適合性」について』

 

 我々との交渉において、理事長は労働委員会による和解の提案を全面的に拒否する意向を示した。そして、それに関していくつかの理由を挙げたが、その中の一つにこういうのがある。「現在の二学部にあなた方を復職させようとしても、専門分野が異なる、つまり、あなた方には科目適合性がない。」この理由は一見尤もらしいように感じられるであろう。そこで、この問題について論じておく必要がある。

 

(1)なるほど、我々は両学部の専門教育科目を担当することはできないが、履修科目には数多くの基礎科目や一般教育科目がある。そして現に我々は、非常勤講師としてそれらの科目を担当している。

 

(2)ビジネス学部と情報学部の後継学部である現代社会学部ができていれば、そのかなりの社会科学系科目が現二学部に提供されていたはずであるし、それが一つのウリでもあった。それは本来、可能な限り復活さるべきであり、そうすれば我々の担当科目が更に増えることになる。

 

(3)理事長が「科目適合性がない」と言うとき、「研究業績が乏しい」ということも言いたいらしい。しかし、研究業績なるものは(人文・社会分野におけるその客観的評価の難しさに加えて)さまざまな意味において相対的なものである。それは、例えば大学・学問分野・教育力などによってその要求水準を異にする。

 

(4)従ってまた、研究業績に関しては、一人一人について総合的に判断されなければならない。我々は理事長の我々一人一人についての評定を是非聞いてみたいものである。

 

(5)それに関して言えば、現在の二学部の教員に十分な「科目適合性」があるか、甚だ疑問である。直接的には人間教育学部についてだが、労働委員会の審問におけるM学部長の証言が、それを明白に物語っている。我々は唖然として聞いたのだが、Mによれば、もともと当該科目についての研究業績のない人でも、文科省の示す(その科目に必須の)キーワードを含むように工夫した「論文」(と言うよりレポート!)を数ヶ月で仕上げさせて、科目担当の審査をパスするようにしたとのことである。つまり、科目本位(科目にふさわしい人を貼り付ける)ではなく、先に人(梶田一門)ありきなのである。それをなんとかアレンジするのが(コツを熟知した)自分の仕事であったと、Mは自らの発言の意味も重大性もわからずに、アッケラカンと宣うた(十年くらい前まで初等教育界にいたらしいのでムリもない)。こんな具合だから、人間教育学部であれば教育学諸分野の、保健医療学部であれば医学諸分野の、専門的研究者がいったい何人いるのか。経歴等を見た限りではあまりいないように思われる。そこで、我々は理事長に提案したい。二学部の教員一人一人について「科目適合性」を一緒に精査してみませんかと。その上で、我々の研究業績についてもチェックし、較べてみましょうと。